Distinct tau neuropathology and cellular profiles of an APOE3 Christchurch homozygote protected against autosomal dominant Alzheimer’s dementia.
Diego Sepulveda-Falla, et al.
Acta Neuropathol. 144: 589-601 (2022).
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/35838824/
「基礎」老化学会の海外文献紹介として病理解剖報告を紹介するのはいかがなものかというご批判もあるとは存じますが、医科学研究は臨床現場にフィードバックできてナンボというのが私の信念でもありますので、あえて今回はこの論文を紹介いたします。
認知症研究者の方は良くご存じだと思いますが、特定遺伝子(APP, PS1, PS2)の変異を原因とする家族性アルツハイマー病は常染色体優性遺伝によって次世代へ受け継がれ、100%確実に発症します。また、発症時期も40代前後とかなり早く、早期発症型アルツハイマー病と呼ばれることもあります(注:若年性アルツハイマー病は60歳未満で発症した孤発性アルツハイマー病患者を指し、別物です)。そして、先述した特定遺伝子が全てbアミロイド蛋白質(Ab)の産生に関わる分子であることがアミロイドカスケード仮説の根拠になっています。ところが近年、家族性アルツハイマー病の遺伝子変異を有しているにも関わらず40歳を過ぎても認知機能が正常に保たれている方の存在が確認され、遺伝子解析を実施したところ、アポリポ蛋白E(ApoE)に特徴的な変異を持つことが発見されました。実はこのApoEもアルツハイマー病と深く関係のある分子でして、ヒトはApoE2、E3、E4と3種類のハプロタイプを有しており、ApoE4をヘテロで持つとアルツハイマー病の発症リスクが3倍に、ホモで持つ場合は15倍に増加することが知られています。この方のApoEはE3だったのですが、他の人にはない変異(R136S)が見つかり、この変異(居住地にちなんでChristshurch変異と命名)が認知症に対する保護効果をもたらしているのではないかと考察されていました。今回ご紹介する症例報告は、この方の病理検索結果となります。
まず臨床情報ですが、PS1E280A変異を有する方は通常40歳前後で発症するのに対し、この方は70歳まで認知機能が保たれていました。その後、72歳頃から少し認知機能に低下がみられ、75歳で軽度認知障害と診断されたようです。最終的には癌によって77歳でお亡くなりになり今回の病理解剖に至りましたが、その結果、大きく3つの興味深い事実が明らかとなりました。まず1つ目は、脳の容積自体は健常人に比べて小さいこと。そして2つ目は、老人斑と呼ばれるAb病変は大脳皮質に広く確認され、一般的なアルツハイマー病患者とほぼ同等かそれ以上であったこと。そして3つ目は、老人斑と並ぶアルツハイマー病の二大病変である神経原線維変化の形成が後頭葉に限局しており、海馬や側頭葉皮質といった領域には極めて少なかったことです。神経細胞死はさほど生じていませんので、脳容量が小さい原因は細胞死による萎縮ではなく、神経突起やシナプスの脱落に起因する可能性が高いと考えられます。逆に言えば、神経細胞さえ死ななければ何とか機能は保てるとも言えますね。そして、アルツハイマー病の実験病理学を続けてきた私にとって最もインパクトがあった事実は、Abはやはり認知症発症と相関しないという厳然たる事実だと思います。編集委員便りでも触れましたが、Abがアルツハイマー病の原因分子であることを後押しした有名な論文が捏造の疑いをかけられ、現在捜査中です。まだ結論が出ていない時点でコメントするのは時期尚早ですが、仮に論文が捏造ではなかったとしても、実際に患者さんの体で生じていることを反映できないのであれば、やはりその仮説は不十分なのではないかと個人的には感じます。一方で、神経原線維変化の大脳皮質全体への拡大が認知症発症と相関するという事実は今回もしっかり確認されましたので、ますます信憑性が高まったのではないでしょうか。また、シングルセル解析の結果、ApoE3の発現量と相関してアストロサイトの生理学的機能やミクログリアの炎症性反応が変化するという結果が得られていますので、近年大きな注目を集めているグリア細胞の変化が認知症発症に大きな影響を及ぼす可能性も大いに示唆されました。たった1例の症例報告ですのでデータとしては軽いのですが、この事実をしっかりと認識して、今後の認知症研究を正しい方向へ修正していくことが私たちには求められていると考えます。
(文責:木村展之)